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建築事務所探訪

vol.

03

東京 / 南青山

APOLLO一級建築士事務所

「余白を持つ」という
建築哲学を
体感していただく場

2016.06.30更新

2000年の事務所創業以来、16年間で150棟ものプロジェクトを創り上げてきたAPOLLO一級建築士事務所(以下、アポロ)。事務所が入居する建物「TERMINAL」も、アポロが設計監理を手がけ2015年に竣工したばかり。
骨董通りと青山学院大学に挟まれた都内でも屈指のハイセンスエリアに位置しながら、袋小路の奥に佇むその洗練された建物は、どこかのんびりした不思議な雰囲気に包まれています。柔らかな光が注ぎ込むミーティングスペースで、明治大学の建築学科を卒業後、ハウスメーカーの商品開発部に勤めたという異色の経歴を持つ代表の黒崎敏さんにお話を伺いました。

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建築家を志したキッカケを教えていただけますか?

私は、石川県の金沢市出身。実家は東茶屋街にある古いお寺で、昔ながらの色々な職人さんたちが集まる場所でした。職人さんたちの仕事を見たり、話をしてもらったりという環境で育ったことが今の仕事につながっているかもしれません。幼い頃は左官屋さんがかっこいいなと憧れていました。
建築家という職業を知り、志すようになったのは高校2年生の頃。偶然、テレビで『powers of ten』というショートフィルムを見て、チャールズ&レイ・イームズを知り、小さな家具から大きな都市まで、あらゆるスケールのものを連続的に横断しながら創っていくその様に、ものづくりには職人的なことだけでなく、様々なスタイルがあるんだと感じました。チャールズ・イームズが自身を「建築家」と名乗っていたので、そうしたものづくりを一生の仕事にできたらいいなと建築学科へ進学しました。

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大学に進学されてからは、建築一筋で来られたのでしょうか?

実は、新卒で就職したのは大手ハウスメーカーの新商品開発部でした。もしかしたら、建築設計事務所をやっている方の中では珍しい経歴かもしれませんね。最初は、建築設計事務所で修行する道も考えましたが、色々な方に相談して、リーディングカンパニーの商品開発部なら学ぶことも大きいはず、とご縁のあったハウスメーカーに就職したのです。結果的に、この会社にお世話になっていた5年間は、私にとって重要なキャリアになりました。
私が所属していたのは、一つの商品に対してマーケット調査、ブランディング、商品企画、技術開発、さらにはCM制作、プレスリリースまで、とにかく一つの商品を世に生み出すまで一気通貫で責任を持ってやるという部署。ある意味で未来の住宅のスタンダードを作っていくような仕事だったため、それまで学んできた建築よりも、もっと広く物事を俯瞰して、10年後、15年後の世の中について考えることが必要な仕事でした。
その仕事自体とても刺激的でしたし、なにより、同じ住宅を作るという仕事でも、ハウスメーカーの仕事でディテールを創っていくことと邸別設計という一品生産のディテールを創っていくことの差異を体で感じ取ることができ、新たな視点が身につきました。のちに建築設計事務所で働くようになってから、仕事の性質が全く異なる案件であっても、一方で使えなかったアイデアをアレンジしたら多方で生きるとか、同時に複数のプロジェクトを進行させる中で、全く別の仕事をリンクさせながら、幅広い視野を持って建物をつくっていける素地はこの頃に養うことができたように思います。

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独立してアポロをつくったのは、29歳の時。ハウスメーカーを退職し、建築設計事務所で働いている中で、小さな建坪9坪ぐらいの5階建ての案件を初めて私自身の仕事として発表することになったのがきっかけです。それまでは個人的に依頼があった仕事も事務所として発表していたのですが、次は私自身の事務所を登録して発表する必要があるということで、お世話になった事務所からも独立することになったのです。という感じで、私の独立のタイミングは、目の前の仕事に丁寧に取り組むうちに思わぬ形でやってきました。

独立までにもそんな物語があったんですね。
独立後最初の事務所について教えていただけますか?

最初の案件が神田だったので、神田神保町の小さなオフィスから始めました。また、地理的に東西南北どこからでもアクセスが良くて、ニュートラルな存在の皇居に近い神田だと、東京の色々なエリアからお客さんが来るんじゃないか、ということも考えていました。すると本当に東京のあらゆるエリアからお客様が来てくれました。(笑) これまで足立区以外全てのエリアで仕事をしましたからね。結局、神田エリアの中でトータル10年いましたが、東京出身でない私が、いろんなお客様のタイプを見て、東京を知ることができた期間になりました。
そんな神田を離れて移ったのが、千代田区二番町。江戸時代、武家屋敷が立ち並んでいたエリアです。40代に入り、手がける住宅のグレードが上がっていく中で、レジデンシャルなもののトップを知るためには、その中に身を置き、そこに暮らす人々と触れ合うことが必要と思い、現代もステイタスを残すこのエリアにきたのです。すると、紀尾井町や永田町も近いので政治家の方の家も手がけたりと、実際にご依頼いただくお客様も変化してきました。作りたいものがある場所にいけば作れるようになっていくんだと体感できる体験になりました。番町には4年間いて、その後、今の事務所へと移りました。

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今の事務所に来られた経緯や、
事務所についてご紹介いただけますか?

今のオフィスには去年引っ越してきました。この建物「TERMINAL」自体は、3年前にプロジェクトがスタートしました。賃貸併用住宅としてオーダーをいただいていましたが、もともと私たちが入る予定はありませんでした。でも、つくっている最中に、お施主様から「実はアポロさんに入ってほしい」と言っていただいて。番町のオフィスが気に入っていたので迷いましたが、熱意を持って誘っていただいて、これもご縁と、移転を決めました。
今となっては、ここに入って良かったですね。中にいれば、どう変化していくかということがつぶさにわかりますし、クライアントの近くにいることで、その反応がダイレクトに受けられます。何より、事務所が自分で設計したものだと、お客様にあんまり説明が要らないのがいい。(笑) 以前は、実績を見せたり、あちこち連れて行って説明したりもしたのですが、ここなら「こんな感じです」と雰囲気ごと伝えられる。なんで今ままでこうしなかったんだろうという感じです。
事務所は、地下が執務空間で、通りに面した1階はミーティングルームになっています。ミーティングルームは日々の打ち合わせはもちろん、週末は不定期で料理教室やオーダー会に貸し出す、ということもしています。それは商売というよりも、実験的に色々な人々に使ってもらうことでコミュニケーションが生まれる空間にしたかったからです。

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この事務所の特徴を教えていただけますか?

あえて、この事務所の特徴を一つあげるとするなら、このミーティングスペースです。先ほど様々な使い方をしていると言いましたが、逆にいえば、明確な目的が決まっていないuntitledなスペースです。いってしまえば、この事務所の余白。でも、何もないんだけど、何もないからこそ、なんでも生まれる可能性がある、とも言えます。物事って拮抗していると、行き詰まってきたり、停滞してきたりするのですが、余白があることで、空気が淀まずに流れていくんですよね。
もしかしたら、この発想は、実家がお寺だったということも大きく影響しているかもしれません。お寺は家でありながら、多くの人が出入りするパブリックな場所でもあります。本堂のような大きく静謐な空間があったり、人が安らぐためだったり、建物に入ってくる光と影や複雑な装飾を際立たせるための工夫だったり、一見用途がわかりづらい空間も、必ず意味がある。それを体感してきたことが、空間の原体験となり、設計やデザインにつながっているんだと思います。このミーティングスペースは、そんな私たちの建築哲学を、お客様に体感していただく場かもしれませんね。

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最後に今後のビジョンについて教えてください。

私は今45歳で、独立して今年で16年目。東京を中心に、住宅建築のシーンに後押しされながら、30代、40代の前半と、150棟もの案件に、一つひとつ丁寧に向き合って来ました。そういう意味では、住宅に住みたいという人の気持ちはなんとなくわかるようになってきたように思います。今は、それを生かして、住宅以外のものにもチャレンジしていこう、という意識を強く持っています。実際に、集合住宅とかヴィラやリゾートホテルなどの宿泊施設やクリニックの案件も増えてきています。というのも、今は、レジデンシャルな雰囲気で暮らすように泊まりたいとか、暮らしの上質なエッセンスを取り入れて、日常から非日常じゃなくて、半日常みたいなニーズが増えているんだと思います。だからこそ私たちのような住宅をメインでやってきた事務所にも声がかかっているのかなと。そういう意味では、アポロが次何をするかというのは、たぶん自分たちでコントロールするというよりも、いろんな場所にいろんなものを作っていく中で、自然と見出されるんだろうなと思いますね。

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もう一点、今は建築事務所も、建築をかっこよくデザインするだけじゃなくて、しっかりと事業として成立させることが求められるようになってきました。それはつまり「サスティナブルなものをつくっていく」ということ。どういうことかというと、事業を成立させようとすると、どうしても勝者と敗者が出てきてしまうのが常ですが、そうでなくて、携わる人皆が長いスパンで見て共存できるような循環システムをつくり出していきたいのです。
例えば、最近は海外のリゾートホテルとかでも、地元の方を採用して人材育成したり、客室料金の何割かが周辺地域への寄付として含まれていて、富裕層の社会貢献活動に寄与しているとか、色々な人々の気持ちが循環するシステムが内包されているようなものもあります。
それこそ、チャールズ&レイ・イームズの「powers of ten」ではありませんが、できることに垣根を作らずに、全体を俯瞰で見て統括しながら自分たちの強みの設計であったり、アイデアを出して、お仕事をさせていただく土地土地の文化や慣習を理解しながら、循環するシステムを作っていく。それが、私たちアポロが目指すビジョン。これから20年、30年と前に進んでいく先に、どんな仕事と出会うことができるのか、とてもワクワクしています。

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黒崎

黒崎 敏Satoshi Kurosaki

一級建築士
1970年石川県金沢市生まれ。1994年明治大学理工学部建築学科卒業後、積水ハウス株式会社東京設計部、FORME一級建築士事務所を経て、2000年APOLLO設立。2008年株式会社APOLLOに改組。現在、代表取締役、一級建築士、慶應義塾大学大学院非常勤講師(2014年)。「グッドデザイン賞」「東京建築賞」「International Space Design Award」グランプリなど国内外の受賞歴も多数。都市住宅を中心に別荘、リゾートホテル、商業施設など幅広く国内外で設計活動を行う。主な著書は「新しい住宅デザインの教科書」(エクスナレッジ)、オランダより出版された新著「APOLLO Architects & Associates Satoshi KUROSAKI」(Nemo Factory)がある。