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建築事務所探訪

vol.

02

東京 / 元麻布

architecture WORKSHOP

楽しいクリエイションを継続する
建築創造のアトリエ

2016.03.24更新

日本建築学会賞、日本建築家協会賞、ARCASIA(アジア建築家評議会) 建築賞ゴールドメダルなどを受賞した「洗足の連結住棟」をはじめ、公共施設から集合住宅、戸建て住宅まで数多くの建築を手がけている「architecture WORKSHOP」。1995年の事務所設立時、主宰する北山恒さんが拠点に選んだのは、麻布十番から仙台坂を上がった高台にある古い造りのマンションの半地下フロアでした。以前はイタリアンレストランやブティックが入っていたという広々とした空間のオフィスに、模型制作室までを備えた、まさに建築創造のアトリエで、北山さんご自身の建築家を志したキッカケから事務所のこと、これからの建築のあり方までお話しいただきました。

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建築家を志したキッカケを教えていただけますか?

私は公務員だった父親の転勤先だった四国の香川、高松の生まれでして、ちょうど6つぐらいの時に丹下健三さんの香川県庁舎ができたんです。それは大きな衝撃でしたね。当時あの辺りは平屋や二階建ての低い木造建てばかりで、その中にすくっと立つ様子は圧巻でした。外観だけでなく、誰でも入れる庭園やピロティーといった空間の存在にも、子供ながらにとても自由な空間だと感じたことをよく覚えています。
その後、父親の仕事の関係で東京に引っ越したのですが、中学生の時に竣工した代々木オリンピックプールに泳ぎに行ってました。都電の路面敷を使った外構や御影石の広場、エントランスから一気に内部に引き込まれるのが印象的でした。どちらも同じ建築家の仕事でしたが、今思えば、当時は建築こそ国のシンボルとなった時代。その象徴的な建築をリアルタイムで体験できたことが、建築家になった最初のキッカケと言えるかもしれません。

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では当時からずっと建築家を志望されていたのですか?

図画工作が得意な子供ではありましたが、建築一直線、ということではありませんでした。建築家への道を決めたのは高校時代。当時はクラスの半分くらいが東大か医学系にいくような都立戸山高校の出身だったのですが、フットボールに夢中になってしまい(笑)、さて将来どうするかという時に残ったのが、図画工作か美術、運動でした。父親のアドバイスもあり、自分の手で勝負できる世界へ行こうと建築へ進みました。

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現在の事務所設立へ至るまでの経緯を教えてください。

高校卒業後に横浜国立大学の建築学科へと進みました。学生時代は丹下健三事務所など設計の現場でアルバイトをして、たくさんの経験を積むことができました。そのまま大学院に進学し、在学中に同級生だった木下道郎さん(現:木下道郎ワークショップ主宰)、谷内田章夫さん(現:谷内田章夫/ワークショップ主宰)と3人で設計事務所を共同設立しました。1978年のことです。最初は仕事もなく、塾講師のアルバイトが主たる収入でしたが、徐々に仕事が増え、多いときは20人のスタッフを抱えるほどになりました。しかし、40歳を過ぎ、バブルがはじけたタイミングでそれぞれ自立を考え、私自身は1995年に横浜国立大学で助教授になったのと同時に現在の事務所を設立しました。

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現在の事務所について、紹介していただけますでしょうか。

まずこのオフィスについてお話しすると、ここは入居前から知っていたんです。建物の前の通りは、昔から抜け道としてよく使っていたので、この部屋が空いていることも知っていて。ある時、問い合わせてみたら賃貸でもいけるということで、交渉して安く借りました。さらにスケルトンにして良いというので、知り合いの工務店に無理を聞いてもらってお金も後払いでスケルトンにしました。壁は学生に白いペンキを塗ってもらってという、本当に手作りの事務所ですね。 空間のレイアウトなんかは今も基本的に当時のままで、10年程前に事務所を賃貸から所有に変えた際に、サッシを取り替えたりスクリーンを付けたりしたぐらいで、ミーティングルームのテーブルなどもずっと使っています。 今、スタッフは7名います。先ほど、以前の事務所の時に20名ほどの所帯になったといいましたが、やはり人数が多くなると、お互いコミュニケーションをとらない人間ができたりとか、プロジェクトの細部がわからないまま動いたりしてしまうことがあると感じて、このサイズ感が最もチームとして力を発揮できると思っています。

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北山さんにとって、この事務所はどのような場所ですか?

私は事務所を立ち上げたときから、会社を運営するために無理な仕事をするのではなく、良い建築を創造するために一つひとつの仕事に労力をかけながら、丁寧につくっていきたいという想いがあります。事務所を賃貸から所有に変えたのもそのためです。一度買ってしまえば、あとはほとんど空間コストはかかりませんからね。その他にもランニングコストがなるべくかからないように工夫して、クリエイションにしっかり時間をかける環境を整えてきました。
建築っていいなと思うのは大量生産ではなく1品生産なので、実際の使い手を見ながらデザインできるところ。私たちが夢中になってやっていればクライアントもどんどん前のめりになってきて、相乗効果でアイデアの発想が生まれ、時には想像を超えるようなものが生まれる楽しさがあります。ですから事務所がスタッフにとってクリエイションを楽しめる環境になっているというのは、よい建築を生み出すためにとても重要なことなんです。
いつも根底にあるのは、今の時代に一番すばらしいなと思えるものをつくりたいという想いです。これまでお仕事をさせていただいたどの住宅の方とも今でもおつきあいがあるということは、その取り組みの現れかなと思えて、私たちにとって一番の自慢です。

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最後に今後のビジョンについて教えてください。

architecture WORKSHOPという事務所名は、磯崎新氏の「大文字の建築」に対する「小文字の建築」、つまり人々の当たり前の日常生活を支える建築を「ワークショップ」 = みんなで作ろう、という意味で付けました。その考えは今も変わらず、現代に合った〈新しい〉当たり前の生活を支える建築とは何かを常に考え、試行錯誤しています。たとえば、マンションは人々が働く日中は人気がなく、逆にオフィスは夜や週末に誰もいない町をつくってしまっています。そこで、「マンション」や「オフィス」など既存のカテゴリーに収まらず、働く場所と住む場所、さらにはカフェや食堂など様々な施設が混在している建築をつくりたい―、今の時代にクライアントの資産を守る建築商品とは何かを考えた時に、こんな事業もあるのではと考えています。現在の法律では実現が難しい点もありますが、人々の支持を得ることができれば、法律も変わり、街の風景も変わっていくのでは、と思っています。いつの時代もその時々のニーズがあり、社会が動いています。この時代に生きる人々にとって居心地の良い空間、建築というものを、これからも追求していきたいと思います。

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川辺直哉

北山 恒Koh Kitayama

一級建築士
1950年
香川県生まれ
1969年
東京都立戸山高校卒業
1978年
ワ-クショップ設立(共同主宰)
1980年
横浜国立大学大学院修士課程修了
1995年
architecture WORKSHOP 設立主宰
2010年
ヴェネチアビエンナーレ国際建築展 日本館 コミッショナー
「洗足の連結住棟」で日本建築学会
作品賞受賞
現在
横浜国立大学大学院教授/
Y-GSA (Yokohama Graduate School of Architecture) 校長